『昴』を歌った歌手の谷村新司氏は「昴」になって空で輝いている

by 曹俊
October 17, 2023
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「子供のとき目を閉じていると、ある風景が目の前に浮かんだ。そこに行ったことはないが、中国の北方だと直感した」という夢から、『昴』という歌は創作された。16日、日本のメディアNHKは、日本の国宝級人物・谷村新司が東京都内の病院で急逝したと報じた。彼の多くの曲は中国の人々によく知られており、この報道を知ってウィチャットのモーメンツで多くの人が哀悼を表し、彼のこれまでの中日友好交流にも敬意を示した。

谷村新司は1948年12月11日、大阪で生まれた。デビューして50数年間で、谷村新司は700曲以上を創作し、レコードの売り上げは3000万枚以上、コンサート4000数回行われ、19回紅白歌合戦に出場した。最も有名な曲は『昴』で、テレサ・テンに中国語に歌われ、中国でも人気になった。他にも、『儚きは』、『This Is My Trial』、『最後のI Love You』、『秋止符(それぞれの秋)』が中国香港の歌手に中国語にカバーされた。山口百恵の代表曲の一つ、『いい日旅立ち』も彼の創作だ。

音楽のほか、中日間の交流にも活躍

「人間の一生は音楽のようだ。音楽は政治を超えるものだ。音楽を通じて中日の架け橋になりたい。生きている間にやりたいことだ。時代がどう移り変わっても、音楽を通じて中日両国の国民の間の友情を伝えるのは私の使命だ。そうしないと生きる意義がない。」

——谷村新司

1981年

1981年、初めて中国で公演したとき、鄧小平氏は立ち上がり、手を頭上に掲げて拍手した。その後の中央テレビの司会者白岩松氏の取材に対しては、「その瞬間、どの国でも音楽を感じるものは同じだ。音楽は国境を越えるものだ」と述べた。

谷村新司氏と中国との縁はこれ以降深まっていった。

2003年

2003年のSARSの時、谷村氏は故郷の大阪で特別コンサートを行い、収益の18万ドルを中国SARS患者に寄付。2004年、コンサートを再開して、SARSと医療関係者に敬意を示し、募集した1534万円を中国赤十字会に寄贈した。

2004年

2004年、谷村氏は上海音楽学院で音楽工程系の常任教授兼中日音楽文化研究センターの顧問に就いた。「中日友誼大使」といわれた。「毎月一週間は上海で送っていた」と述べた。授業は学生に作詞、編集、演出させるプロセスだとして、「いずれの学生の個性も重視している。知ることを中国の若者に伝えたい、中国に国際的な音楽人材を育成するように力を入れたい」と述べた。

2008年

2008年汶川地震の後には公益コンサートを行って収益の全部を寄付、同年の北京五輪では、NHKの解説員も担当した。

2010

2010年上海万博では日本PR大使を担当し、開幕式で『昴』を歌って会場と全世界の観衆に無限の感動をもたらした。

当時、万博の監督だった滕俊傑氏は、谷村新司氏は芸術家らしい芸術家という印象を受けた。上海万博の開幕式は谷村氏の日本国内ツアーだったが、「招待を受けた次の日、彼はスケジュールを調整して上海に来ることにした。毎回の演出は繰り上げてリハーサルし、まじめに歌っていた」と思い出した。「彼の中国、上海への認知と気持ちは私を感動させた」と滕氏は述べた。

2017年

2017年、中日国交正常化45周年にあたって、谷村新司氏はデビュー45周年のコンサートアジアツアーのファーストストップを中国上海にした。「上海は私の2つ目の故郷だ」とアピールした。

2018年

2018年、『中日平和友好条約』の締結から40年の時は、『38年間の昴』で上海大劇院に登場した。彼が『昴』を歌うと3000数人の観衆は携帯のライトを開けて一緒に合唱した。舞台の下の点々とした「星の光」を見た時、谷村新司は中日友好が永遠に星のように輝くことを祈ったという。

2020年

2020年3月26日、中国の人々が新型コロナと戦っていたとき、谷村氏は上海市人民対外友好協会に新型コロナと戦うため創作した『心花伝』を送って「音楽でみんなと一緒に難関を乗り越えたい」と応援した。

ネット利用者は訃報を受け、谷村新司は空の『昴』になって輝いている、と書き込んだ。
中国外交部は17日に哀悼の意を示した。

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