【上海は私の家】上海で一番印象深いのは「友情」=星屋秀幸氏
このほど、第10回上海日本白玉蘭友好交流会が、上海錦江小礼堂で開催された。記者は4年ぶりに上海に来た上海日本白玉蘭会の総代表の星屋秀幸氏に、再び独占インタビューを行った。
上海との縁は?
1979年、星屋秀幸氏は中国語を勉強するため、三井物産の留学生として北京を訪れた。帰国後は本社の鉄鋼部門に配属され、上海の宝山製鉄の仕事に関連して何度も上海に来る機会があった。そして1995年、上海の現地法人の社長として派遣された。
当時、宝山製鉄とよく連絡
星屋氏は妻と子供二人を伴い、上海に赴任。「当時は虹橋に住んだ。妻はいろいろな人に助けてもらい、中華料理を勉強して特に上海蟹に夢中だった。子供らも上海日本人学校で勉強して楽しい時間を送っていた」と、当時を振り返る。
ちょうどその頃の上海は高度成長の時代で、星屋氏は鉄鋼関連のみならず、あらゆる分野の仕事を担当することになった。浦東開発にも関与した。東京から森ビルの森社長が来て、「浦東で超高層ビルを二つ建てる」と言ったので、彼も協力することになった。
1997年、オフィスにいる星屋氏
「浦東開発について勉強してみたら、とても面白いプロジェクトだということがわかった。商社の中ではいち早く、オフィスを浦西から浦東に移転する決断をした」と述べた。
星屋氏の8年の駐在期間中は毎年増収増益で、本社から高く評価された。「エキサイティングな8年間だったと思う」。
東京に戻った後、森ビルの社長に誘われて六本木ヒルズで仕事をすることになった。そして2014年、上海森ビル環球金融中心の総経理として再び上海に派遣された。
自分の中日交流のことを説明する星屋氏
「私にとって日中交流は40年以上あったが、上海での10年間の滞在がとても有意義で充実したものだった」。
上海市人民対外友好協会海外栄誉理事に授与された星屋氏
「昨年(2022年)、上海市人民対外友好協会の陳靖会長から、日本人として初めて上海市人民対外友好協会海外栄誉理事という賞をいただいてとても名誉なことだと思っている。」と星屋氏は笑みを浮かべながら述べた。
4年ぶりの上海で新しい発見は?
「私は毎年、必ず上海に来ていたが、2020年の春にコロナの流行が爆発し、日中交流の人的往来がほとんどできなくなった」と星屋氏は遺憾の意を示した。
今回4年ぶりで上海に来て、「上海が発展して成熟しているのを実際に見ることができてとてもうれしかった」と語った。
鴻寿坊
普陀区で新しく開発された町・鴻寿坊での印象については、「とても面白い町だ。上海の昔の雰囲気もあり、新しい店もたくさんある。若い人もお年寄りもそして家族連れ、恋人同士も、いろいろな料理、グルメを楽しんだり、コーヒーを飲んだり、散歩したりしている。そういう点でこの町はすごく参考になった」と評価した。
蘇州河の観光船に乗る星屋氏
今回の上海訪問で星屋氏は、船に乗って、夜、黄浦江の夜景を見ながら、日本人以外の外国の白玉蘭の受賞者と一緒に交流することができた。また、蘇州河の観光船にも乗船した。「観光船が本当にきれいになっていて、この25年間の大きな変化に驚いた。また、ガーデンホテル界わいの長楽路辺りには、なにか懐かしいところで昔のままの雰囲気もあるし、新しいものもある。上海の雰囲気も守りながら、新しいものもあるというのがとても楽しかった」と述べた。
上海白玉蘭日本受賞者の会は?
上海日本白玉蘭会は、2014年に上海市人民対外友好協会のサポートを受けて立ち上げたものだ。中日民間交流を促進し、上海の発展に貢献することを目指している。東京と上海と毎年、交互に開催ということで、今年の第10回は上海での開催となった。
第10回上海日本白玉蘭友好交流会
「白玉蘭会の受賞者のみなさんはビジネスのみならず、福祉、厚生、文化、医療、教育と多岐にわたっている。そのため毎回、対外友好協会とテーマを決めて、何を重点にするかを決めて開催することになっている。今後も、われわれが直接見たもの、感じたものをみなさんに発信していきたいと思っている」。
上海で一番印象深いのは?
星屋氏は即座に、「私にとっては、上海は第二の故郷のようなところだ。たくさんの友人がいる。上海で一番印象深いのは上海の友人、友情だ」と述べた。
「上海、是我家!(上海は私の家!)」




